2006年1月5日。
新しい年を迎え おめでたいムード満点でも
病気の宣告を受けるべく 病院へと向かう人間もいる。
ここの大学病院に来たのは 初めてではない。
2年ほど前に 母が2ヶ月入院していて
その間 週に2,3回は面会に来ていたので
勝手知ったる・・・なのである。
膠原病。
聞き慣れないこの病名を 初めて身近に感じたのは
むしろ この時だったのだ。
そう。
母も 膠原病だったのだ。
母の場合は 多発性筋炎で
いちばん症状が酷かった時には
ベッドから自力で起き上がれないほど
筋力低下がみられた。
今だから ネットでいろいろ調べて
体質遺伝があるかもしれない
と いう考え方も出来るけど
当時は まさか自分が2年後に
膠原病を発症するとは 思ってもみなかった。
今 母は再燃することなく
ステロイドも飲んでいない。
それだけが 幸いである。
紹介状があったこともあり 担当は
やはり 母の時と同じM先生だった。
一通りの検査を済ませ いよいよ
先生から結果を聞かされる。
混合性結合組織病。
さらに 聞きなれない病名。
その時の検査結果は以下の通り。
AST(GOP) H 99 基準値11~30
ALT(GPT) H 93 基準値4~30
LD H 451 基準値110~220
CK H 1737 基準値6~142
抗核抗体 H 5120 基準値0~40
(定量)
抗RNP抗体 256以上 基準値インセイ
この結果が どれほどなのかは判らないけれど
入院しなければならない という事実。
それだけは はっきりしていた。
しかし この期におよんでもなお私には
入院に応じられない事情があった。
長くなったので 続きはのちほど。
読んでくださった皆さんに 幸あれ
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