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特定疾患である混合性結合組織病の日々を中心に 気になるグッズや食べ物、テレビやお笑いなどをきまぐれに綴ってます♪ 情報交換、気分転換に訪問歓迎!
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精密検査の結果が出て

膠原病、そして具体的には

混合性結合組織病と診断された。

症状としては 著しい筋肉痛と筋力低下、

レイノー現象、ソーセージ様腫脹、

物が飲み込みにくい などがあり

これらが診断基準になったみたい。

混合性結合組織病は患者さんによって

症状がさまざまな病気で

私の場合は 筋炎と強皮症の症状が

強く出ているのかな。

2005年1月5日 診断を受けてから

具体的な入院の話になった。

M先生は 入院しての治療が必要と言う。

期間はステロイドの効果次第だが 1ヶ月程度。

通院ではダメなのかとさんざん粘ってみた。

答えは もちろん ノー。

入院はしたくない。

そりゃあ 入院が好き! なんて人

そうそういないと思うけど

今は無理なんだ。

さらに 粘るも M先生の答えは変わらず。

入院をそこまで拒んだ理由は

むしろ 仕事のことというより

娘の高校受験が目前だったからだ。

よりによってこんな時期に・・・と 神様を恨む。

ここから さかのぼること2年半前に

雨の日に階段からすべって転落。

複雑骨折で2ヶ月近く入院。

やっとその時のボルトとピンを抜いて1年弱。 

そのときの家族の大変さが解っていたから

どうしても 入院にふみきれない。

さらに話し合った結果

娘の合格発表の直後あたりを入院予定とすること

入院中にする予定の検査を

入院までに出来るだけ通院ですませておく

などの条件で ようやく決着がついた。

そんな親の気持ちを知ってか知らずか

娘はけっこうケロッとしているもので

落ちたら・・・・なんていう心配は

彼女には無縁のようで

こんな ポジティブシンキングな性格

誰に似たんだろうと思う。

でも そんな性格に すこし救われたりするのだ。

そして 心配の種だった 合格発表の日。

入院日は すでに数日後と決まっていたので

結果がどうあれ入院しなくてはならない。



結果は。。。合格!



ほっとした瞬間だった。



それから 入院までの数日間は

書類の事やらなんやらで めまぐるしく過ぎていった。

気が張っていた為か 症状はあいかわらずでも

なんとか 気力で乗り切ってこれた。

そして 2月16日 慌しい中 入院の日を迎えた。
 

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2006年1月5日。

新しい年を迎え おめでたいムード満点でも

病気の宣告を受けるべく 病院へと向かう人間もいる。

ここの大学病院に来たのは 初めてではない。

2年ほど前に 母が2ヶ月入院していて

その間 週に2,3回は面会に来ていたので

勝手知ったる・・・なのである。

膠原病。

聞き慣れないこの病名を 初めて身近に感じたのは

むしろ この時だったのだ。

そう。

母も 膠原病だったのだ。

母の場合は 多発性筋炎で

いちばん症状が酷かった時には

ベッドから自力で起き上がれないほど

筋力低下がみられた。

今だから ネットでいろいろ調べて

体質遺伝があるかもしれない

と いう考え方も出来るけど

当時は まさか自分が2年後に

膠原病を発症するとは 思ってもみなかった。


今 母は再燃することなく

ステロイドも飲んでいない。

それだけが 幸いである。


紹介状があったこともあり 担当は

やはり 母の時と同じM先生だった。

一通りの検査を済ませ いよいよ

先生から結果を聞かされる。


混合性結合組織病。

さらに 聞きなれない病名。

その時の検査結果は以下の通り。


AST(GOP)  H 99     基準値11~30

ALT(GPT)   H 93     基準値4~30

LD       H 451    基準値110~220

CK       H 1737   基準値6~142

抗核抗体   H 5120   基準値0~40
 (定量)
抗RNP抗体  256以上   基準値インセイ


この結果が どれほどなのかは判らないけれど

入院しなければならない という事実。

それだけは はっきりしていた。

しかし この期におよんでもなお私には

入院に応じられない事情があった。

長くなったので 続きはのちほど。


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2005年12月初旬 健康診断の結果を受け取る。

健康診断実施から だいぶ経っていたのは

月に一度あるエリア会議と合わせた為だろう。

結果は 要再検査。

もっと深刻な事態も胸をよぎったが

予想通りというよりは なんで?というほうが強かった。

と いうのも ひっかかった項目が自分では思い当たらない。

GOT             高   69*   前年17   基準値7~40 
GPT             高   50*   前年18   基準値3~49
HDL-コレステロール  低   35*   前年51   基準値40~90

専門家からみれば ある程度の予測がつくのかもしれないが

知識の無い私は 肝機能の異常を


 『肝臓って・・ 私お酒飲まないのに 何で?』


と思うと すっきりするどころか

ますます なぞが深まってしまった。

だったらこの体調異常はなんなんだ。

体は だるい。 加えて酷い筋肉痛。

朝起きると 物が二重に見える。

歩けば 時折まっすぐ歩けないほど 体がゆらゆら?する。

手は 血の気が引いて真っ白。



結局 再検査の結果を聞くまで

このもやもや感が続くことになるのだが

その間も 体調は相変わらず悪かったが

それでもなお 休まず仕事を続けていけたのは

今思えば 気力のようなものだったのか。


 
2005年12月16日 再検査の結果が出た。

再検査は 母の通院に合わせて

母と同じ医院で受けてきていた。


『膠原病かもしれないから もっと詳しい精密検査をうけたほうがいい』


膠原病?結果を聞いても ピンとこなかった。

膠原病の知識がほとんどなかったからだ。

ここでは細かな検査が出来ないらしく 

先生が 週に一度非常勤で行っているという

大学病院に 紹介状を書いてくれることになった。


そうして 刻一刻と 


引導を渡される日が近づいていくのだった。


長くなったので 続きはのちほど (○´∀`)ノ

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2005年(H17年)9月に 初めてレイノーが出てからというもの

レイノーのみならず あらゆる異常事態が私の体に起こっていくことになる。

まずは 体のだるさと 尋常ではない筋肉痛。

なんか 最近疲れやすいなぁ とは感じていたが

仕事が忙しいからかな くらいにしか思っていなかった。

そんな10月のある日の朝 顔を洗おうとすると・・・


腕が上がらない。


激しい筋肉痛のような症状で 手が顔の位置まで

持ち上がらないのだ。

ひさびさにボーリングに行った次の日でさえ

こんな症状が起きたことはない。

筋炎の症状が はっきりと出始めた頃だ。

昨年までは 普通のパート社員だったので

該当しなかったのだが

4月から チーフという立場になり

会社の一泊での研修旅行に行く事になっていた。

体は もうすでに かなりキツイ状態だったが

全国チーフ会議なるものもあり

ほぼ全員が出席・・・欠席できる雰囲気に無かった。

そんな旅先でも 病魔は 私の体を着々と蝕んでいく。

その頃は 筋肉痛に加え 足首や膝にも痛みが出てきていた。

足の痛みは その年の3月におこなった

右足の抜針術(抜針術とは 骨折の治療の際に

骨に埋め込んだプレートなどを抜く手術)の

術後の痛みとは また別の痛みのような・・・

普段は 車での移動なのだが 研修旅行は新幹線での移動。

行きの乗り継ぎ中には すでに

びっこを引かなければ歩けないアリサマ。

いっしょに行った仲間のチーフが 心配してくれ

夜には 両足をマッサージしてくれた。

こんな状態になってもなお 『病院に行く』 という

選択肢が無かった自分の愚かさが 今も恨めしい。

すべて いそがしさのせいにしていたのだ。

当時の私は 家電量販店などを中心に

自社の商品の補充や 販促物の展示

新製品の紹介などをしていく いわゆる

ラウンダーという仕事をしていた。

入社5年目で チーフになったばかりの年に加え

秋から年末にかけてが 一番の稼ぎ時。

研修旅行から帰っても 残業の日々が続いた。


体調は ますます悪化していく一方で

毎日 栄養ドリンクを飲まなければ

仕事に出られないという状態の中。

ある朝 起きて 目を開けると ・・・ 


物が二重に見え 焦点が定まらないのだ。


5分くらいして やっとまともに見えるようになる。


それに加えて 歩いているとゆらゆらする


めまいのような症状も。


そんな 非常事態が続いてもなおも

病院に行かなかった理由が ほかにあるとすれば

11月の始めに 会社の健康診断が控えていたから。

なにかあれば ひっかかるだろう

その程度に考えて 不安感に蓋をしていたのだ。



自分の体に なにかが起こっている。



気づかなかったわけではない。



考えたくなかったのだ。



人一倍 心配症な自分が
 
もしかしたらなにかの病気かもしれない。


そんなこと 考えたくもなかった。


そして 私の人生を すっかり変えてしまうこととなる

運命の 健康診断の結果が出ることになるのだ。


長くなってしまったので 続きは またのちほど。


いつになく シリアスタッチにお送りしました!( ̄ー ̄)

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今日は 微妙な天気ですねぇ

少し肌寒いこんな日は 自覚症状がないのに

レイノーが出るんです これが。

えーっ! 温水で洗い物してるんですけどぉー!

なんで白くなるかなぁ と。

自分の身体が よーわかりまへん・・・


めんどくさーい事が嫌いだったり 飽きっぽかったり

ラジバンダリ?(お笑いかっ!)だったりする私がですよ。

まずは ブログデビューとなったきっかけであるところの

病気について綴っていこうかな。


時は 2005年(H17年) 9月のとある日曜日のこと

その日は 定期開催されていた 息子のお笑いライブの日で

(あっ 息子のことは のちのち話しますね)

食べ歩き仲間4人を誘って ライブ会場へ。 

会場は まだ残暑が厳しい9月という事もあって

冷房がばっちり効いていて

ライブ半ば頃だったかな

いままで味わった事のないような妙な手の冷たさを感じて

暗がりの中 かすかな明かりをたよりに

おもむろに自分の手を覗き込んでみると

ほぼ全部の指が爪の先から第一関節にかけて

死体のように真っ白に。(死体見たことあるんかーい!ガッツリやなー!)

指の感覚はというと かじかんでるというよりは

麻痺に近い感覚で

後に これがいわゆる膠原病によくみられる

レイノー現象だったとわかるのですが

ただの冷えと高をくくっていたのが そののちに

大きな間違いだったと思い知らされることになろうとは・・・

そんなこととは 知りもせず 

入れ替わり立ち替わり出てくるお笑い芸人の卵たちを

ただ ただ のんきに にわか評論家のごとく

友達連中と あーだ こーだ 言ってた膠原病予備軍がいたんですよー。

やっちまったなー!!


・・・・・ジョーダンはさて置いてですね

なぜ ブログを始めようかと 思い立ったかは

私と同じように 難病という名のもとで

不安を抱えているであろう人たちと情報交換することで

おたがい少しでも病気が良くなるヒントが生まれたらいいな と。

もちろん 元気な人のパワーも大歓迎です!


混合性結合組織病との診断を受けるまでの

壮絶な闘い(大げさかっ!)については 後日 報告いたしますね


さて 以上の文章の中で いくつかのお笑い芸人さんのギャグを

パクらせていただきましたが わかりましたでしょうか?

芸人さんの名前全部 わかった人は なかなかのお笑い好き?




とにもかくにも 今日は自分的には ブログデビューばんざーい!な一日でした

読んでくれた全てのひとに 笑いと幸あれ


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